私のふるさと華城のページ No4

              防府とくぢ農業協同組合華城支所
                  (旧・華城信用購買販売利用組合)
  この建物は防府の田園地帯のトンガリ屋根の西洋館として親しまれてきましたが老朽化のために平成19年に建て替えられることになりました。しかし昭和初期の洋風建築物として建築・文化史上大変貴重な建物で防府の歴史資産として「保存」の要望がされましたが、結局はなりませんでした。
本ページは「山口近代建築研究 第4号(山口近代建築研究会2006.12発行)」から転載させ
て戴きました
                 華城と防府の開作について
 華城には〇〇開作と名の付いた地名が有りますが、ここは昔は海だったんですね。現在の西方面から「塩屋原、野地、大塚、仁井令、鞠生の松原、勝間」が海岸線だったようです。
 次の地図を順番に見るとその様子が分かると思います
1. 奈良・平安時代の防府
2. 防府の開作図
3. 華城の開作図(図は南北朝時代「1336〜1392」の華城村附近図ですが、平行線部分の開作地域は後の時代に 新開地されたと書いてあります。主に江戸時代以降に開作は作られました。)
            金石文(『華城村誌』より読み下し)
 金石文( きんせきぶん)とは歴史民俗用語で 金属器や石碑,また墓碑・岩などに鋳刻または彫刻された文字や文章のことです。このPDF文書は「華城の歴史を勉強する会」会長の金山政秋先生(植松中河内)が「華城村誌(御園生翁輔書)」の155頁〜160頁に掲載されている「第27章 金石文の10項目(原文はすべて漢文)」を分かり易く解説し冊子にしてくださったものです。

 原本の華城村誌をご覧になりたい方は華城公民館(℡0835-22-9867)までご連絡ください。

 目次は次の通りです。 金石文が書かれております石碑や梵鐘などの現在の所在場所は( )の中です

 1. 桑山堀地獲經筒銘(きょうづつめい)・・(これは個人所有です)・・・・昭和42年に防府市指定有形文化財に指定された「日輪寺経塚遺物」の法華経奥書(おくがき:写本の巻末に、筆写者がその本の来歴などを記録したもの)です。法華経については「華城の史跡・旧跡」のページを参照してください

 2. 植松八幡宮鐘銘(しょうめい)・・・・(この梵鐘(ぼんしょう)「つりがね」は現存しておりません。)

 3. 光宗寺鐘銘 (華城大塚 光宗寺・・・平成27年1月光宗寺住職さんにお尋ねしたところ、現在の梵鐘は昭和32年頃新しく設置されたもので、その前に有った梵鐘は戦争中に供出したそうです。現存の梵鐘には違う金石文が刻まれておりますので、華城村誌の「光宗寺鐘銘」は供出された梵鐘のものだと思われます

 4. 周防國佐波郡仁井令桑山八幡神祠碑(はちまんじんしひ) (桑山八幡宮境内)・・・・写真はここをクリック

 5. 植松村八幡祠假山記(はちまんしかざんき) (植松八幡宮境内 ・・・・・・・・・・・・・・・・・写真はここをクリック

 6. 錦江松井先生墓碑 三田尻西法寺 (西法寺:お茶屋町老松神社の前)・・・平成26年11月に西法寺の住職さんにお尋ねしましたが墓碑の確認ができませんでしたまた平成27年1月に西法寺墓地の飯田家の墓石の案内を受けましたが、墓石には金石文はありませんでした。現在のところ墓碑の所在は不明です。

 7. 黙軒濱田先生之墓(植松村下河内) 妙見寺墓地:大村印刷の西側・・写真はここをクリック

 8. 積善山根先生墓碑(植松村下河内 (       同上           )・・写真はここをクリック

 9. 柳州佐村先生碑銘(仁井令中渡) ・・碑は平成12年に中渡「現・中当」から華城小学校へ移設されました

10. 田中先生之墓 伊佐江村大塚廃法輪寺跡(大塚の田中設備の看板を西へ曲がってすぐ左)・・写真はここをクリック

 金山先生の作られた冊子の原本はB5版横の上綴じですどうぞプリントアウトしてお読みくださいませ。

 なお上記目次の漢字のフリガナは私がネットから探して付けました。正しいかどうかは不明です。ご容赦くださいませ。