華城(はなぎ)の歴史
明治22年に「華城村」が誕生してから今日(こんにち)までの歴史をまとめてみました。
・華城村誕生以前の歴史については、華城・植松・山県(はなぎ・うえまつ・やまがた)地区出身の大郷土史家「御薗生翁甫(みそのお・おうすけ)」先生が昭和二年に発刊された「華城村誌」に詳しく書かれております。
・また平成元年に、華城の百周年記念事業で刊行された「華城の百年」にも明治維新前夜から平成元年までの歴史が詳しく載っております。
・両方の書籍とも華城公民館(華城学習等供用会館 ℡0835-22-9867)にあります。どうぞご覧くださいませ。
・なお御園生翁輔先生の
「華城村誌」は昭和62年1月に「華城農業協同組合」のご努力で復刻されたものです。          
明治22年 4月 1日
(1889年)







        5月28日
  
・華城村誕生 仁井令村  伊佐江村  植松村  が合併し 佐波郡華城村 が誕生。従来の各村は大字(おおあざ)となる 
      
仁井令(にいりょう) 伊佐江(いさえ) 植松(うえまつ) 合 計   
1,361人  853人 1,351人   3,565人
274戸 197戸 272戸  743戸
                                                    
初代村長・吉次寛市 就任(旧3村との事務引継完了日)(吉次寛市氏は森鴎外の父、森静
の生家である植松小松原の大庄屋吉次家の分家の婿養子。華城の名付け親でもある。
注:名前の寛市は寛一と書いた文書もあります) 

・華城の名の由来は、明治18年から20年まで仁井令・伊佐江・植松の三ヶ村区域は「華西組
(九華山桑山の西)」と称されて来たが、このたびの新しい市町村制施行の時に「華西村」では
なく「華城村」と命名された。

・この「華城」の字義について後日命名者の吉次氏が次のように述べておられます。字義もよ
く農村としては珍しいよい名である。名は躰を表す如く防府の中心として将来発展する意図の
もとに名づけられたものである。(華城地区明治維新百年記念誌4頁より

華城の人口(人口 3,565人  戸数 743戸)  
明治23年 8月  日
第二代村長・山内文次郎 就任(仁井令村鍛冶屋河内の人)
明治  年  月  日









明治25年 8月 日

       10月20日
       11月  日
 ① 仁井令小学(明治5年創立、6年開校、場所は開出字河内その後開出字原へ移築)
 ② 植松小学  (明治13年8月創立、場所は前開作その後塩屋原へ校舎新築)
 ③ 伊佐江小学(明治15年1月仁井令小学より分離独立、場所は伊佐江中河内)
           
上記の各村小学校を明治18年6月に廃止統合し⇒
 ④ 華西小学校が開校(明治18年仁井令村字鈴ケ瀬に校舎新築華西とは九華山桑山の
    西の意
 ⑤ 鈴ケ瀬尋常小学校と改称(明治20年に華西組廃止により地名を取り改称.。
    ちなみに鈴ヶ瀬の地名は清水川の瀬の音振鈴の如き響きあるによるの課程を経て
    明治25年7月に⇒ 
 ⑥ 華城尋常小学校と改め、さらに同年8月に⇒
 ⑦ 華城尋常高等小学校と改称される

・華城尋常高等小学校が仁井令村字小徳田に校舎新築し移転現在の華城小学校
第三代村長・平田駒之進 就任(植松村前開作の人)
明治26年  月  日
・小学校にオルガンを購入し唱歌の教授、卒業証書授与式を行う
 明治28年 8月
・岡澤医院 開業(昭和41年9月 西仁井令2丁目に移転)
 明治31年 3月
第四代村長・徳光良策 就任(植松村御手洗の人)
明治33年 7月 3日

        12月 3日
・華城教育団設立(団長古谷新作団長古谷新作氏は明治25年から35年まで国会議員  教育団とは現在の華城教育後援会
山陽鉄道 三田尻~厚狭間 開通 (これにより華城村内を汽車が通ることになった。徳山〜
三田尻間の開通は前年明治32年3月17日。 山陽本線 三田尻〜大道間の複線開通は昭和
5年6月25日。)
 明治35年 3月
第五代村長・吉武虎太 就任(仁井令村柳原の人 人物伝はこちら
明治38年 1月  日
・華城信用組合(無限責任華城信用購買販売利用組合) 創立(華城農業協同組合の前身、現在地より100m西の世良初蔵氏宅の小屋を借用。昭和6年に現在地へ移転するまでここが使われた)
明治42年 3月 5日
・華城戊申(ぼしん)青年会発足(明治41年10月創立の華城青年会が戊申詔書(ぼしんしょうしょ)発布を機に改称し12歳〜25歳の男子で組織 各個人の向上、充実を図り社会奉仕を目的とする団体 会長は井上慶一第4代華城小学校校長 大正6年華城戊申青年団と改称。昭和4年5月華城村青年団と改称、などの過程を経て昭和27年華城連合青年団結成へと続く)
明治44年 2月11日
・優良自治模範村として内務大臣より表彰を受ける(村長は吉武虎太 奨励金500円 地区の団結心は強まり末永く誇りとなった)
大正 2年11月10日
・小学校新築改築工事起工(就学児童が年々増加し校舎が狭隘となり華城村が長年熱望していた一大事業、下河内の古谷新作氏他584名の本村住諸氏から1,850円13銭5厘の巨額の寄付有り)
大正 3年10月30日
小学校新築改築工事竣工(新築工事費総額6,224円7銭、旧校舎大修繕農園設備費861円、当時米1表8円32銭)
大正 7年 3月  日
        7月11日
第六代村長・吉武繁一 就任
佐波川大洪水(華城全村にわたり被害拡大)(流木が川面をふさぎ、藁屋根に乗っかり助けを求めながら流されて行く人や流木に挟まれて流されて行く牛馬もいた。そのあと堤防があちこちで決壊し我が家も水浸しとなった。  植松八幡宮近くで子供のころ この洪水を目撃された第5代村長吉武虎太の孫で仁井令柳原出身の吉武素二氏の証言です。 「華城の百年」362頁より。

 また泥江在住の平田宏幸さんのお話では平田さん宅のすぐ上流で土手が決壊し流れ込んだ水が水田をえぐって「ダブ」が出来たことをご両親から聞いていたとのこと、このダブでは年2回水を替えて魚を取っていたとのこと、このダブになった水田の持ち主は今は「西植松農村公園」である「ひょうたんダブ」の地権者のおひとりで前開作在住の「松井 宏さん宅(御尊父が第九代華城農業組合長)」でした。歴代の松井家は2か所も堤防決壊により水田が「ダブ」になったことになります。)

 
「ダブ」とは大きな池または沼地のことで漢字では「田否」と書くようです。
大正12年 7月 1日
・佐波川大洪水(大字植松の頓藏主土手「とんどすどて:植松八幡宮東〜仁井令開出間に有った堤防」が決壊、 被害は全村に、 大正7年と同じ程度の被害拡大。  頓蔵主土手(とんぞすどて)については上記のLINK先の植松の古地図の2ページ目「川南」と「仁井令の古地図」を参照してください.。植松八幡宮東「中河内」から「開出」まであった土手です。緑色の土手がそうです。 今はこの土手はありません、防府市道・柳原〜中河内線になっています。)

 「土手(どて)」とは堤防のことです
大正14年 9月23日 ・華城村方面委員発足 (現 民生委員・児童委員) 2名
昭和 2年  月  日
        4月28日
・第1回華城小学校同窓会総会が開催される
・松本歯科医院 開院 (清水町)
昭和 3年10月  日
光宗寺本堂内に華城幼稚園 開園(住職 神保達元 当時の園児はわずか43名 住職の人物伝はこちら
昭和 5年 6月25日 ・山陽本線 三田尻駅~大道駅間の複線 開通
昭和 6年 2月11日
       12月13日
光宗寺境内に華城幼稚園舎 完成
華城農業協同組合庁舎 落成式(当時は無限責任華城信用購買販売利用組合事務所の呼称。平成19年8月新庁舎建て替えのため解体された
昭和 7年  月  日
華城尋常高等小学校の講堂建築決定(8月起工、10月上棟、翌年1月竣工、2月落成式挙行、場所は現在の屋内運動場)
昭和10年 4月 1日
・植松下河内に華城郵便局 開設 (現 下河内会館  郵便局が旧局舎前の現在地に移転したのは昭和59年4月23日)
昭和11年 6月  日
 

        8月25日
・小学校の新築改築模様替工事が着工される(昭和12年2月竣工、同年5月10日落成式挙行
防府市制施行(佐波郡防府町・中関町・華城村・牟礼村の二町二村が合併して防府市設立)
・小学校は防府市立華城尋常高等小学校と改称される
・二宮尊徳(にのみや・たかのり)の銅像が華城小学校同窓会の寄付により玄関前に建設される
華城の人口(人口3、565人  世帯数705世帯)
昭和16年 4月19日
       12月 8日 
・NHK防府放送局 開局(井上山から電波送出、昭和37年3月に山口市へ移転)
・太平洋戦争はじまる
 昭和18年 9月
旧陸軍航空隊が華城、中関、西浦の水田を強制買収して飛行場建設に着手
・そのために17年から19年にかけて大塚、伊佐江、地神堂の多くの人家が移転を余儀なくされる
 昭和19年 4月
旧陸軍防府飛行場完工(未完成のまま終戦の説もあり、現在の航空自衛隊防府北基地、総面積2,554,000㎡
・それに伴い伊佐江八幡宮、大歳神社等 現在地に移築
昭和20年 8月15日

        9月 1日
         月  日
太平洋戦争が終わる(華城小学校では全校児童を臨時登校させ、大東亜戦争「太平洋戦
争」が終わったことを告げ、訓話があった。 華城の百年の中の華城小学校の沿革より)
・華城小学校で戦後初めての平穏な第二学期始業式が挙げられる(華城小学校の沿革より)
占領軍「進駐軍」の指示により右側通行となる(華城小学校の沿革より)
昭和21年 4月  日

 
       8月25日
・華城婦人会 再結成 ( 華城婦人会は大正3年に市内で一番早く編成されていた「初代会長:村長夫人 吉武ウメ」が終戦により解散していた。 自治会単位の婦人部を連合した「現 華城婦人連合会」は平成3年4月1日に結成 )
山陽道(一級国道2号線)が縦貫 (この路線が華城の政治・経済・文化に多大な影響を及ぼすことになる。 防府バイパス開通のため平成4年4月より県道187号線となる)
昭和22年  月  日
        4月  日

        5月 1日 
・小学校の学校給食が始まる(パン、果汁、みそ汁)
・小学校は6・3制実施により「華城小学校」となる(生徒児童数547名)
・華城の消防団 「防府市消防団第5分団」として組織的活動開始
新制華城中学校 設置(華城小学校舎の一部を仮校舎として創立)
昭和23年  月  日
・華城農業協同組合 発足(昭和19年防府市内19組合が合併し防府農業会であったが農地改革により以前の各地区を基盤とする組合に分散)
昭和24年 6月15日
・華城小学校区子ども会 発足 (現 華城子ども会
昭和25年  月  日
・華城小同窓会が二宮金治郎(金次郎)像を再建
昭和26年 7月 7日
佐波川の洪水氾濫、華城地区内被害甚大(以後 災害防除のための防災ダム築造が計画され 近代的治水事業が進展 防災ダムは大原湖と命名され昭和31年4月に完成)
昭和27年 4月 1日
        9月14日
華西中学校  開校  (華城中学校は廃校となる
・華城小同窓会が復活し第1回総会開催される
昭和28年 7月  日
佐波川大橋竣工(華城植松泥江〜右田佐野間  その昔「泥江の渡し」があった場所  歩道橋は昭和46年2月完成)
昭和29年12月  日
防府市新庁舎開庁
・防府飛行場が米軍から移管され航空自衛隊防府基地が発足
昭和31年 5月  日
大崎橋竣工(華城植松中河内〜右田大崎間  その昔「大崎の渡し」があった場所  すぐ下流の「大崎自歩道橋」は平成16年4月完成)
昭和32年 4月  日





        5月12日
・華城地区体育協会の規約制定と協会発足(会長 松田福信 副会長 渡邉 操・猪俣憲雄  華城体協の歩みは昭和20年12月 渡邉 操 清水要二 田村 旭 猪俣逸夫 林 正勝 吉次 勇 他約20名のスポーツ愛好者による華城体協の土台作り発起⇒昭和21年1月に華城三輪陸上競技クラブ結成⇒昭和22年4月に防府市三輪クラブと改名しこれが現在の防府市陸上競技協会となる 華城地区体協は昭和60年の華城コミュニティ設立時にその体育団体の中に入る

森静男生誕地の碑 建立
(防府の郷土史研究家柳星甫(やなぎせいほ・本名 義雄:防府の車塚に柳耳鼻咽喉科医院を開業・元柳耳鼻咽喉科院長柳陽二先生の祖父)氏らによる最初の碑。除幕式には森鴎外の長男森 於菟(もりおと)氏他100名参列)
昭和33年 4月 1日 桑山中学校  開校
昭和34年  月  日
・華城農業協同組合が「華城有線放送」を開始(防府市で初。華城農協組合長の松井理一郎氏が広島の日本電信電話公社中国電気通信局まで出向いて交渉し電電公社の電話との接続が昭和35年頃から可能になり当初は山口県内まで、昭和40年代は東京を始め全国へ接続可能に。華城地区の新しい通信情報化時代の幕開けでした

航空自衛隊防府基地が南・北に分立
昭和35年 3月  日

         4月 1日
 
・山口大学教育学部防府分校及び付属中学校が山口に統合のため廃止(跡地は現在の桑山中学校運動場)
・華城地区社会福祉協議会 発足(初代会長 田中彰定 防府市内で最初に発足、昭和54年華城地区健民福祉協議会に移行)
昭和37年 4月 1日
        5月12日
        8月30日

       11月 1日   
・交通安全協会華城分会 発足(初代分会長 佐々木朝生)
華城地区老人クラブ連合会 発足
・華城地区健民運動推進協議会 設立(初代会長 末富数雄 昭和38年の山口国体成功に向けて創設され54年に華城地区社協と合併し華城地区健民福祉協議会に移行)
・三田尻駅を防府駅と改称
昭和38年11月23日 華城小学校開校90周年記念式典開催 校歌もできる
昭和39年 7月25日
        8月  日
山陽本線全線電化完成
華城小学校にプール完成
昭和40年 10月 1日 ・新町名施行 佐波一丁目 (大薮一区の一部) 寿町 (大薮一区・二区の一部)
華城の人口(人口6,686人  世帯数1,573世帯)
昭和41年  月  日
・佐波川が1級河川に昇格(佐波川は戦後国の直轄河川から県営河川に格下げとなっていたが度々の堤防決壊の惨事に対して「佐波川改修期成同盟会」を結成した華城の田辺利雄氏 藤本作一氏 岡本 繁氏3人が上京し当時自民党幹事長の佐藤栄作氏に国の直轄河川への復帰を直訴したのが昭和23年4月。  この昇格は佐波川の治水対策に対する華城地区民の根気強い運動と涙ぐましい努力の結果である)
昭和42年  月  日
・佐波川の堤防工事が両岸完工(西浦側の下流から着手し漸次上流へ進み天神山北白坂までの下流8キロ  約20年の歳月を要した。  「顧みるに二十年の歳月は永いものであったが、順調に完工し、無限の富を生み、市の経済に貢献できることを喜びたい」 第10代華城農業協同組合長 岡本 繁華城地区明治維新百年記念誌16ページより)

なお、泥江の佐波川大橋~大崎橋の1.8Kmの区間には地震時の土地の「液状化現象対策」として河川敷へ「砂杭(すなくい:地中に5mの穴を掘って砂が埋まっている)」が施工されております。(H27.9.11 : 初代華城コミュニティ会長 安達 智先生 談)
昭和43年 9月 1日 ・新町名施行 桑山二丁目  (大藪二区・鍛冶屋河内・古谷河内の一部)
昭和44年  月  日
・小学校に「大望の池」が完成(大正6年3月に華城小学校を卒業された塩屋原出身の日本調理機社長長宗重一氏を中心とした同窓生の方々一同が校地環境整備のためにもとから有った「疑心」の池を改築して寄贈)
昭和45年  月   日
       5月  3日
華城幼稚園が光宗寺から小徳田(華城小学校隣接地)に移築
華城地区明治百年記念碑を建立(第10代華城農業協同組合長 岡本 繁
昭和46年 8月 15日 ・「華城地区明治維新百年記念誌」を華城農業協同組合が発行
昭和47年 4月  1日

       9月 30日
・華城保育園が仁井令四辻(現 伊佐江町)に 開園(初代理事長 神保寿美 昭和56年3月鉄筋2階建てに増築  園児定員が60名から90名に)
・華城農協の華西有線放送電話施設完成(自動電話交換機設置、鉄筋コンクリート平屋建126.99㎡、仁井令1305番地、華城有線放送電話は西浦と合併し今までの西浦有放の交換手さんは華城で勤務を開始)
昭和49年10月29日 華城小学校開校百周年新校舎落成記念式典 開催 百年史刊行(6月:題名 華城開校百年の歩み)
昭和51年 4月  1日


      11月   日
・華城学習等供用会館(華城公民館)開館
・自治会制度発足(防府市自治会に対する事務委託及び助成等に関する規則の発令。華城は当初は26自治会)
・第1回華城すこやかふれあいまつり 開催
昭和52年 3月 6日
・第一回華城地区文化祭(学習等供用会館主催) 開催 (51年度年度末に開催 学級・講座の学習のまとめとしての作品を展示 主催の華城地区健民運動推進協議会文化部は⇒昭和60年「華城の文化を高める会」へと移行)
昭和53年 4月  1日
・防府第一クリニック  開院(華園町)
・華城地区補導員連絡協議会  発足
昭和54年 4月 1日
華城地域自治会連合会  発足(初代会長 松田福信)
・華城地区健民福祉協議会に改組(初代会長 松田福信 社会福祉協議会と健民運動推進協議会を合併 1.体育部 2.福祉部 3.文化部4..環境部 5.社会教育部 6.交通安全部 の6部を設置 58年に華城地区社会福祉協議会へ移行)
昭和55年 3月12日 ・華城児童公園 開園(2968㎡:もとは昭和17年頃できた中関の海軍通信学校に供給するための水源地)
昭和56年  月  日
       11月 1日
華城小学校の講堂解体される
森静男生誕地の碑再建祭(最初の碑は25年目にしてひび割れ倒壊の危険が出たため地域の方の協力で再建。再建石材は防府市田島の中司興業KKの元社長で元防府市会議員及び元防府市体育協会会長の中司実氏が寄贈)
昭和57年  月  日 
        2月  日
        3月24日

       11月17日
       11月29日
・昭和57年度の華城小学校の児童在籍数が1,104人で沿革史上ピーク
・華城小学校屋内運動場 落成
・「華城の郷土史研究グループの会」の第2回会合の本日から「華城の歴史を勉強する会」の発足とする(初代会長 吉武 稔、  研究グループの第1回会合は前年12月6日 )
・防府信用金庫華城支店 開設(現 東山口信用金庫華城支店)
・植松前開作に老人憩いの家が完成竣工式(土地提供者は前開作自治会長荒瀬克己さん)
昭和58年 4月 1日

        9月 1日
・華城地区健民福祉協議会が華城地区社会福祉協議会に移行(会則は変えず名称変更のみ 初代会長:猪俣義勝)
・仁井令郵便局が現在地に開設
昭和59年10月 7日 ・第一回 華城地区社会福祉大会  開催
昭和60年 7月 1日

       10月 1日
華城コミュニティ推進協議会 結成(初代会長 安達 智先生 就任)
華城地区交通安全推進員協議会  結成
華城幼稚園鉄筋コンクリート2階建ての現園舎を新築
昭和61年 5月 7日 華城地区社会福祉協議会 新発足(前会則を廃止、新会則を施行開始)
昭和62年 3月15日




        4月 1日
       12月19日
「郷土誌華城 --地名のいわれと古跡--を発行 (本文110頁:付録28頁:A5版)
            発行:華城の歴史を勉強する会(会長 吉武 稔)
            監修:毛利博物館長 臼杵華臣
            題字:防府市長 原田孝三
            表紙:鍛冶屋河内 能美卓見
・山陽本線が日本国有鉄道から民営化され、西日本旅客鉄道株式会社の所管となる
・華城地域の鉄道高架工事が開始
昭和63年 4月 日

       11月27日
       12月19日
・大型スーパー「丸久華城店」オープン(以後、サンマート、ナフコ、ユアーズバリュー等大型店が進出)
華城福祉ボランティアの会 発足(有志による結成)
華城地区青少年健全育成協議会  発足
平成 元年  2月 日
         2月 6日


        4月28日

        5月 4日






       8月19日
       10月 1日
       10月29日




       11月18日

           19日
          
           〃 
           〃
植松大橋(跨線橋、地元はガードと呼ぶ)の建て替え工事竣工(最初の建築年月日は不明)
新町名施行   桑南一丁目   (古谷河内の一部)
           桑南二丁目   (古谷河内・地神堂・石原の一部)
           石が口三丁目 (石原の一部)
 
防府市公設青果物地方卸売市場 開設(仁井令の市場が鉄道高架工事のため移転 植松1143番地 敷地面積 30,797平方メートル 建物面積 8,162平方メートル
・島田歯科医院  開院(華園町)


華城百周年記念事業開催(企画、実行:華城コミュニティ推進協議会・華城百周年記念事業実行委員会)
◎スローガン 「歴史に学び 21世紀をめざして 個性豊かな コミュニティづくり」 

・ NHK全国ラジオ体操会 (全国ラジオ放送)3000人参加
・ 華城百周年記念誌 「華城の百年」発行(A5版433頁)
・ 華城百周年記念大会 671人参加
   1.記念式典  
    2.記念講演:「下河内出身の久富哲雄先生の演題 松尾 芭蕉---古池や蛙飛び込む---」
   3.記念レセプション祝賀会  

・ 華城百周年記念「ふれあい こりゃんせ まつり」(第13回目のふれあいまつり  テーマ:ふるさとの百年 をふりかえり 21世紀へ翔こう   今回から見るお祭りから参加するお祭りへ)
・ 「タイムカプセル埋設」(山口機械製作所社長 下河内の古谷篤生氏製造寄贈 開封を平成21年吉日と決定)
・ 「三世代100歳家族の集い」(17家族集合)
・ 華城百周年記念事業記録誌 「華城」 発行 (平成2年11月30日)

・ 華城百周年記念事業の一環として華城小学校吹奏楽部創設援助(華城小学校吹奏楽部創設募金委員を昭和63年4月に結成し 華城地区内の自治会や各団体に募金協力を依頼し同年10月に目標額の500 万円を到達:昭和63年11月8日決算報告)
平成 2年 2月 5日
        6月 5日
       10月 1日
 
         19日
新町名施行 中泉町 (開出西の一部) 高倉二丁目 (大薮一区・二区・開出の一部)
・中当自治会 環境美化功績表彰 (国務大臣 環境庁長官)
晒石・石原地区が華浦地域へ編入となる(平成元年9月当時の人口 晒石 1,037人 344世帯 石原 701人 235世帯)
・昨年の華城百周年記念講演会に引き続き今年も下河内出身の久富哲雄先生の文化講演会を公民館にて開催(演題:芭蕉「奥の細道」入門)
平成 4年 4月  日 なまず公園完成(防府市施工)
平成 5年10月29日 ・鉄道高架下り線開通 (上り線は平成6年5月開通予定)
平成 6年 2月 4日



        2月21日





        5月 5日
        5月23日
・銘木「村役場のモチの木」を公民館へ移植(明治22年華城村誕生時の村役場に植樹 ⇒ 昭和11年市制による村役場廃止に伴い華城農業協同組合へ ⇒ 農協前の道路拡張のため公民館へ 華城歴史の樹 推定樹齢100年超)

新町名施行
      仁井令町      (大藪二区・柳原一区・鍛冶屋河内の一部)
      東仁井令町    (大藪二区・四辻・鍛冶屋河内の一部)
       清水町       (大藪二区・柳原一区・四辻の一部)
       華園町       (古谷河内・伊佐江の一部)
      伊佐江町      (伊佐江・四辻・大塚の一部)

・第一回「佐波川つつじまつり」  開催
・鉄道高架上り線開通 鉄道高架が全線開通し防府駅が高架駅舎となる
平成 7年 1月21日





        2月13日







       5月 1日


       8月 1日












       10月 1日
・「鴎外の父 森静男の百年忌準備委員会」発足(華城の歴史を勉強する会主催)
 主要事業として
1.森鴎外の孫森富氏(もり・とむ=東北大名誉教授・解剖学、平成19年8月31日死去の講演 
2.「森静男の生涯」発刊
 等を計画

新町名施行
       開出本町      (開出西・柳原二区の一部)
       開出西町      (開出西・柳原二区・小徳田・中河内の一部)
      西仁井令一丁目 (開出西・柳原一区・柳原二区・小徳田・下河内・中当の一部)
      西仁井令二丁目 (柳原一区・中当・四辻・小徳田・下河内の一部)
      華城中央一丁目 (中当・四辻・小徳田・大塚の一部)
      華城中央二丁目 (小徳田・野地・下河内の一部)


公民館前庭の「蘇鉄」に説明石碑を設置
・西慶田自治会発足(423人 117世帯)  華城の自治会数25となる
華城の人口(人口  12,757人  世帯数  4,625世帯)
・華城コミュニティ推進協議会10周年
  ◎華城イメージアップスローガン
     1. 咲かせよう 華城に明るい 心の輪               
    
2. すこやかに 緑の里に 華やぐ子
    
3. 無事故には みんなの願い こめられて

  ◎華城イメージアップデザイン(マスコットキャラクター) 
      {和尚なまず 現・寿町なまず公園銅像 平成4年2月制作より  
       
 

・「鷗外の父 森静男の生涯」発行(森静男百年忌実行委員会)
平成 7年  月  日
市道「泥江〜潮合線」の拡幅工事完了(本工事は防衛庁の航空機事故に対するレスキュー道路として整備された。拡幅工事区間は泥江側が県道187号線との交点〜潮合側が県道190号線との交点。 この道路はかっては宗金開作「そうきんかいさく」の宗金土手が有ったところで 宗金開作は年代不詳であるがその後「前開作」と名称が変わった )
平成 8年 2月 5日
        2月15日
        5月  日
華城学習等供用会館(公民館)開館20周年記念植樹「モッコク」(推定20年生)
・鉄道高架事業完成竣工式(山口県)
植松八幡宮現在地に移築(佐波川の堤防改修工事のため.。)
平成 9年 4月 1日

        4月26日
        8月  日

       10月19日
・防府とくぢ農業協働組合設立(華城農協、大道農協、徳地町農協、防府市農協が合併し、華城農協はJA防府とくぢ華城支所となる)
・JA防府とくぢ「華城ライスセンター」竣工(植松・塩屋原)
華城地域自治会連合会 「第8回緑の愛護」  建設大臣表彰

紀宮清子内親王(のりのみやさやこないしんのう)殿下 華城公民館へ御來駕(ごらいが)第6回全国ボランティアフェスティバル災害ボランティア活動分科会) 
平成11年 3月31日
        月  日
・華城遺族会壮年部 公民館へ櫻12本(5年生) 寄贈
やまざき歯科医院 開院(植松・塩屋原)
平成12年 2月16日
        3月  日
       11月14日
・総合福祉サービス施設「ヘスティア華城」が伊佐江に開設
・JA防府とくぢ「華城育苗センター」竣工(植松・塩屋原)
・柳洲佐村先生碑銘を中当から華城小学校校庭に移設
平成13年 5月29日
        7月16日
       11月17日
華城コミュニティ推進協議会第2代会長に木原彦正先生就任
・防府市農業公社開所(JA防府とくぢ華城支所敷地内
・華西中学校 創立50周年記念式典 実施
平成14年 3月13日








       9月  日
・西植松農村公園 開園 (旧山県ダブ 通称ひょうたんダブ 4,314㎡ 防府市と山県地区中村幸雄自治会長との公園維持管理の協定書締結) この山県ダブは寛文6年「1661〜1672年」7月5日の佐波川の頓藏主土手決壊による洪水が北から押し寄せ宗金土手の一部を決壊させ西側の山県開作へ切り込んだ水が水田をえぐって出来た池沼である.。  沼地を埋め立てたために地盤が弱い。

 ちなみに「ダブ」とは大きな池や沼地のことで漢字では「田否」のようです)。この沼地は葦やセイタカアワダチソウなどが生い茂り近隣の農家や住民の方々は困っていました。

華城コミュニティ推進協議会の広報誌「コミュニティ ひろば」の創刊第1号を発行
平成15年 7月 9日
        8月26日 
華城地区よくし隊 発会
華城小学校開校130周年記念行事(明治6年6月に華城小の前身、仁井令小学校が開校)
平成17年 4月  日
        5月27日
        8月 6日




































         9月23日
旧華城農協用地一部を市と共同出資により買収(現・コミュニティ広場)
華城コミュニティ推進協議会第3代会長に清水玲児先生就任
西植松農村公園 地権者顕彰石碑建立 
 除幕式 実施
  (除幕式の模様は「コミュニティひろば平成17年9月号」へ掲載されています

(石碑の名前は次の通りです
 平田駒之進  明治25年佐波郡華城村の第三代村長に就任、実家は前開作で酒造業
           を経営           
 松井 宏    平成26年現在前開作へお住まいで御尊父は第九代華城農業組合長の
           松井理一郎氏
 吉村近之輔  元防府高等女学校の校長であった吉村琢郎先生のご尊父(H28.8吉村琢郎
           先生の御子息 の吉村哲郎さん「千葉県柏市在住」へ確認)
 河村 孝    平成26年現在前開作にお住まいで現華西中学校PTA会長
 臼杵知三    長男の臼杵華臣氏はもと毛利博物館の館長、実家は前開作に現存
 山本峰松    大正九年時のの華城村潮合区長(H28.8お孫さんの山本昭雄さん「やまもと
           てるお・周南市在住」 に確認)

 このうちダブの地権者は上記の6人である。もともと山県開作の農地であったので地権者が6人おられこの山県ダブは6人の共有名義で「代表者が平田駒之進」となっていた。

 ダブの地権者6人のお名前のうち

松井宏
さん(現在前開作に在住で元日本電信電話公社勤務)と
河村孝
さん(現在前開作在住で元華城小学校PTA会長、現華西中学校PTA会長)
のお二人は存命者であるが

他の4人の中には明治大正時代の登記の地権者もおられます。

平田駒之進さんは佐波郡華城村第三代の村長。
吉村近之輔さんは「私のふるさと華城のページNo4の「金石文」の「植松八幡詞假山記碑」の裏面の「発起者」の中に名前が見られます。元防府高等女学校の校長で有られた(昭和16年~20年)吉村琢郎先生のご尊父。実家は松井宏さん宅の東100mで現在は別の方宅となっています。
臼杵知三さんは元毛利博物館館長 臼杵華臣(うすき はなおみ)氏の御尊父で終戦後亡くなられた。
山本峯松さんは大正九年時のの華城村潮合区長。 

 なお地権者の相続人で現存者の方は全部で29名おられ、全員の承諾をいただくご苦労を自治会長の中村幸雄さんと市会議員の青木岩夫さんがとられた。石碑の名前は6名であるが寄付者は29名ということになる。)

植松総合開発「コスパ防府」オープン (マックス・バリュー ヤマダ電機 クスリ岩崎 シュープラザ 他)
平成18年 4月12日
       10月  日
        11月 9日
華城子どもみまわり隊 結成
よしいこどもクリニック 開院(植松 コスパ防府メディカルタウン)
桑山中学校 創立50周年記念式典 実施
平成19年 4月23日
        8月 6日
      12月 5日
おがさまきレディースクリニック 開院((植松 コスパ防府メディカルタウン)
・JA防府とくじ華城支所 新庁舎落成(昭和4年建築の旧庁舎は解体
西植松農村公園にトイレを設置(防府市工事)
平成20年 2月29日
        4月  日
 

       10月 5日
華城の人口(人口14,056人  世帯数 5,896世帯)
・山口県道190号中ノ関港線(やまぐちけんどう190ごう なかのせきこうせん)の植松〜大崎区間の道路改築事業着工(新大崎橋の工事:道路の開通予定日は未公表。工事最終は平成28年度)
華城120周年記念事業開催(華城コミュニティ主催)
    記念式典、記念講演、レセプション、「華城コミュニティの活動」編纂
「華城の名所旧跡案内板」の作成・設置(華城コミュニティ推進協議会 華城の歴史を勉強する会)
平成21年 1月 5日
・華城120周年記念事業「タイムイムカプセル」開封・埋設  (20年前の平成元年の華城100周年記念で開封が平成21年吉日と決められていたもの、  次回のタイムカプセル開封・埋設は20年後の平成41年吉日)
平成22年 3月 2日
 

        4月  日
        4月 8日

       12月13日

       12月  日
防府地域気象観測所(アメダス)が植松の公設青果市場の東の現在地にて観測を開始。(それ以前は西浦「平成4年~」であったが観測環境悪化のため移設:平成28年8月下関気象台へ確認)
・華城公民館の駐車場のアスファルト化完成
華城小学校西側の交差点の信号機運用開始(5月12日信号機点灯式挙行 市道三田尻〜西浦線 小徳田交差点)
華城小学校吹奏楽部が第49回全国学校合奏コンクール全国大会(テープ審査:主催・日本教育音楽協会)で優秀賞を受賞
華城コミュニティ推進協議会の広報誌「コミュニティ ひろば」の第100号記念特集号を発行
平成23年 2月 6日 ・華城地区社会福祉協議会創立50周年記念大会 開催(第27回大会)
平成24年  5月  日
西植松農村公園に藤棚2基設置(山県自治会と前開作自治会の発案 材料は防府市から提供 組み立て施行は原田組が無料奉仕 藤の苗木は2本伊佐江の真部史郎氏が植樹寄贈 その後防府市から苗木を6本植栽 合計8本に)
平成26年 3月28日





        4月 1日
       10月  日
       11月30日
市道天神前植松線の桑南1丁目〜石ヶ口2丁目区間が開通
石が口二丁目から桑南一丁目までの市道延長620メートル、幅員18メートル区間の工事が完成し、交通可能になった。全体延長1590メートルを整備する市道天神前植松線改良事業の一環。同事業は平成元年に工事着手し、今回完成道路とすでに交通できる華園町440メートル区間を加えて、1060メートルが開通した。

・高齢者複合施設「フィラージュ開出」が開出西町へ開設
大村印刷新社屋竣工
・脇医院(内科、小児科 植松)が閉院
平成27年 3月29日

        5月22日
        7月21日

        7月22日

        8月 1日
山口県道中ノ関港線(なかのせきこうせん)の防府市大字植松から防府市大字大崎までの区間の供用開始。   開通式典及び記念行事を開催
華城コミュニティ推進協議会第4代会長に福田信義先生就任
・華城コミュニティ推進協議会と桑山中学校が国土交通省中国地方整備局山口河川国道事務所より河川愛護協力者として国道交通功労者表彰を受ける
・市道天神前植松線の伊佐江町〜華城中央1丁目の区間530mが開通(この区間の開通で全体延長1590メートルが整備完了したことになる)
ヘスティア伊佐江「有料老人ホーム・小規模多機能型居宅介護」が伊佐江町(四辻)へ開所
平成28年 3月16日


        5月  末
        6月 1日
・華城ラッキークラブG/G同好会(荒瀬茂也会長)が公益財団法人山口放送みらい財団から緑化活動モデル地区団体の指定を受ける。2016~2018年度の毎年度10万円の活動助成金が交付される。
華城の人口(人口14,876人  世帯数 6,717世帯)
こども歯科じゅんこクリニック開院(仁井令)